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2007年4月26日 (木)

小学校の実情

4月24日に 全国の小学6年、中学3年を対象に 
全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が一斉に行われた。


全国の学力テストは43年ぶりだそうだ。

このテストについて テレビのニュースでは いろいろ問題点を取り上げていた。

いわく、以前 この「全国学力テスト」で学校のレベルが比較されたので、
成績の悪い子を受けさせなかったとか、

いわく、先生が子どもの答案用紙を書き換えて、
少しでも点数を上げようとしていた、とかだ。

ようするに、また学力競争社会に逆戻りするのではないか、という不安だ。


でもあたしから言わせれば、「ゆとり教育」なんて とっくに崩壊している。
小学校の現場では、
昔は 教室の1~2割りの子が 学習についていくのを困難と感じる
(落ちこぼれという言葉が禁句とした言い回し)だったが、
今では 教室の中で 3割の子だけが 学習についていけている、というのが現状だ。

授業の日数は 足りない。
足りない分は宿題にまわすしかない。
とはいっても、宿題をしてこなくても 怒られない。
(宿題を強制すると怒る 保護者がいるから)

漢字の学習は 時間を十分に割けないので、家で「自主的に」学習する。
5年生になると 宿題すら「自習」だ。

「自主的」て言葉はいいけど 本人まかせ。

塾に行く子が多いので、それにあわせたテンポで授業がすすみ、
塾の宿題があるから 学校の宿題ができない、という子は 野放しだ。

小学1年生から 授業に遅れ始め、1年生の夏休みから 補習を行う学校もある。

「習熟度別」と呼ばれる 算数の授業は
クラスの子たちを 3つの進度に分けて 行われる。

しかし その進度を先生が分けるのは差別にあたるので、
あくまでも 本人が(親と相談して) 自主的に決める。

わくわくコースとか どんどんコースとか のんびりコース などと 
名前は変えられているが、
普通の子、進んでいる子、遅れている子の区別であることは
親も子ども 分かっている。

見栄からか 過信からか、無理して上のコースに入れる親もいる。

授業中は 子どもたちは落ち着きがなく、
中には、1年生から 学級崩壊。
子どもたちは 授業中に好きに歩き回ったり、床に直接 座っている。

先生は 必死で授業を進めようとするが、高学年になると 押さえもきかない。
授業は たびたび 中断される。

かといって 廊下に立たせたり、腕をつかんで連れ戻すことも、正座させることも
体罰となる。

これの どこに ゆとりがあるの??

仕事上 いろんな県のいろんな小学校の実情を見てきた。
だから 全部の学校がそうじゃないことは分かってる。

かといって、テレビのワイドショーを作り話のつもりで見てるのは、
現状を知らなすぎる。


差別しないとか ランキングをつけない、ということが
なにやら 「結果が平等」を求めてるような おかしな風潮もみられる。
子どもの権利が一人歩きだ。

「教育」としての機能が働いていないから、
目上の人だとか 年配とかに敬意も払わず、
何かと権利ばかり主張する子どもが作り出されていく。

今回 急に復活した 全国学力テストを見ると、
文科省がこの先 どこをめざしているのか ますます分からない。

あたしが思うに、平等とか 自主性の意味が違うと思う。

平等は 「結果、平等」ということではない。
どんな学生生活を送ろうと、社会に出れば競争することから
逃れられるわけではない。

今の親は 自分の子どもが傷つくのを極端に恐れている。
でも、傷つくことが 勉強だとは思わないのだろうか。

挫折を乗り越えることが 人生を豊かにすると思わないだろうか。

算数ができるか、体育ができるかの問題じゃない。
自分のできないことにぶちあたった時、どうするのか。
戦うのか、逃げるのか、努力をするのか、別の答えを探すのか。。。
そういうことが 学習だと思う。

そういう意味では 「機会」は平等であるべきだが、
結果が 平等である必要はない。

日本の教育は、どうもそこが違う気がする。

本当にゆとりがあって 豊かな教育を目指すなら、
たとえば 算数が得意な子には とことん算数をやらせればいい。

学力がすすんでいるなら 飛び級をさせて、
どんどん先に進ませればいいと思う。
芸術に優れているなら、芸術の授業を人より多く受ければいい。

自分がやりたいことや 優れていることがあるのなら、
平等でなくても 飛び出させてあげればいいと思う。

選択肢が 広がり、 より興味のあることに時間をかけることができるのが
ゆとりのある教育じゃないかと思う。

そういう教育のほうが 機会平等で 自主性のある教育だと思うのだが、
まちがってる?

でも 文科省の ゛管理"や"競争"や"ゆとり"や"自主性"という
キーワードの捕らえ方をみていると、
まだまだ 理想の教育には 程遠いと感じられる。


結局 国にとって 教育とは 政治の延長線上で語られてるだけだ。


伊吹大臣の 数々の 失言(ホンネ?)をいちいち書いてたらキリがないから
書かないけど、
とてもじゃないけど 未来が明るいとは思えないなぁ。。。。

その時その時の制度で振り回される子どもたちが
かわいそうでならない。





       

       関係ないけど これ最低!
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